観光資源>人文系資源>ゆかりの地、作品舞台

浅虫温泉
陸奥湾に面した静かな温泉街で、青森の奥座敷ともいわれている。多くの文人に愛された温泉は、様々な作品に登場する。その一つに、建物は...
ころび山
棟方志功がこの山で浅虫観光ポスター用として風景画を描いた。絵には山から見える湯の島、桟橋と小舟、棟方によるキャッチフレーズ「浅虫...
八大龍神宮
棟方志功が松木満史(洋画家)、古藤正雄(彫刻家)とこの龍神宮に遊びに来て、悪戯心からか信仰心からかお社の扉に絵を描いたという。し...
酸ヶ湯温泉
棟方志功がこよなく愛し、毎年土用の丑の日前後に家族と過ごした宿。ロビーには棟方が宿賃がわりにおいていったといわれる作品の中の一つ...
地獄沼
酸ヶ湯温泉の近くの火山活動によってできた沼で、周辺の岩からはガスが噴き出し、辺りには硫黄臭が立ち込めている。1949年(昭和24)に、...
善知鳥神社
青森はその昔、善知鳥という寒村であった。この神社は1千年以上の歴史を秘めており、青森市発祥の神社であるといわれている。菅江真澄はこ...
常光寺
棟方志功の菩提寺。檀家は県下一円に広がるという。仁王門の正面に本堂、左右に大きな建物が建ち並ぶ新しい近代建築である。本堂には金色...
貴船神社
807年(大同2)坂上田村麿呂の創建ともいわれる。1189年(文治5)平泉衣川の戦いに敗れた源義経が蝦夷地へ落ちのびる途中、この地で海上安...
三内丸山遺跡
棟方志功の作品に多く登場する豊満な女性像、またその作品を彩る原初的な色彩は、彼に流れる「縄文の情熱」を感じさせてくれる。ここは今...
文芸のこみち
青森市堤川の近くにあり、太宰、北畠、棟方、寺山、高木など青森県出身の著名人の碑が14基建てられている。また、堤川をはさんだ対岸は、...
三内霊園
棟方志功夫妻が眠る墓がある。生涯憧れ魅せられ続けた画家、ゴッホの墓を模して棟方自身がデザインした。墓石の表には自筆の文が書かれて...
城ヶ倉大橋
春の新緑、秋の紅葉が特に美しい城ヶ倉渓流の約120m上に架かる橋は、長さ255mで上路式アーチ橋としては日本一の長さを誇る。橋の袂に十和...
堤川
南に八甲田連峰がのぞめる堤川沿いの道は、高校時代の寺山修司の通学路だった。
棟方志功生家跡
棟方志功が生まれた場所。父は鍛冶屋で、この地に住みここで仕事もしていた。1910年(明治43)の青森市大火で生家は焼けたが、棟方は遠足...
棟方志功少年時代の居住地跡
棟方志功の生家が大火で焼けた後移り住み、上京するまで家族と居住していた場所。現在はタイヤ店になっている。店舗の駐車場入口の前に、...
青森地方裁判所
棟方志功が給仕として働いた裁判所。仕事を早々に終わらせ、合浦公園などによく絵を描きにいったという。職員にならないかとの話もあった...
長島小学校
棟方志功が入学・卒業した小学校である。棟方自筆の「汝我志麿」の石碑が建っている。
青森県近代文学館
県内出身の代表作家13人に関する写真や自筆遺稿などの常設展示を中心に、多くの作家の文学資料を展示している。AVコーナーではそれぞれの...
棟方志功記念館
棟方志功の画業を記念して1975年(昭和50)に開館。日本庭園と調和した校倉造りの建物には、「釈迦十大弟子」などの代表作が納められ、年...
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
客載車両を積載できる日本唯一の渡船として活躍した、かつての青函連絡船・八甲田丸を利用したミュージアム。地下1階ではエンジンルーム、...
中央市民センター
太宰治『走れメロス』の一節が刻まれた文学碑が建つ。この碑は青少年の健やかな成長を祈念して建てられたもので「友情の碑」と名付けられ...
青い海公園
少年寺山修司の心に「ふるさと」として焼き付いたのが、青森港の海であった。現在は青い海公園として整備され市民の憩いの場になっている...
合浦公園
青森市東部にある全国的にも珍しい市街地の海浜公園で、1989年(平成元)日本の都市公園百選に選ばれている。棟方志功自筆の「清く高く ...
平和公園
少年にして「わだばゴッホになる」になると目標を定め、弛まぬ努力を続け世界的な板画家となった棟方志功の信念に共感し、郷土の若人の前...
椿館
棟方志功が家族や弟子達とよく湯治に訪れ、周辺の風景を描いた、湯の歴史400年を持つ浅虫温泉の第一号旅館。突然部屋に紙を敷き、一気に筆...
八甲田ホテル
棟方志功から酸ヶ湯温泉へ贈られた絵のうち、約10点がこのホテルに飾られている。ロビーでひときわ目を引く大きな鯉の絵は、猫が本物と見...
椿山
春から初夏にかけて、夏泊半島は赤い椿の花で覆われる。1万数千本ともいわれる椿は、本州最北端の椿自生林として国の天然記念物に指定さ...
よごしやま温泉
喉頭がんを患い、旅公演ができなくなった高橋竹山は、地元のよごしやま温泉で演奏会を開いた。1997年(平成9)4月20日から、最後となった...
東福寺
1998年(平成10)に他界した高橋竹山のお墓がある。また、竹山直筆の掛け軸が保存されているが、現在展示はしていない。
雷電宮
1788年(天明8)菅江真澄が訪れ、「津軽の奥」「外ケ浜づたひ」などに記している。菅江と大町桂月の文学碑が建っている。
観瀾山公園
太宰治は眼下に海岸や街並みを望むこの小高い丘で、友人たちと一緒に文学談義をしながら花見を楽しんだ。「でも、君たちの好きなその作家...
袰月海岸
岩礁と断崖が約3qに渡って続くこの海岸は、津軽国定公園に指定されている。吉田松陰が通り抜けたことから「松陰くぐり」と名付けられた洞...
龍飛崎
津軽半島最北の地。義経が龍馬に乗って飛び立ち、北海道へ渡ったという伝説からその名が付いたとされる。三厩村には義経一行がこの地から...
義経寺
義経が、荒れ狂う海を前にして観音像に祈ると、3頭の龍馬が現れ海峡を渡ることができたという伝説が残っている。その観音像を内部に納めた...
義経海浜公園
更衣室や温水シャワーを備えた監視塔が設置された海水浴場があり、隣接の交流センター「かぶと」では特産品の販売をしている。公園内には...
雲祥寺
太宰治の『思ひ出』に登場する、卒塔婆についた鉄の輪や、太宰がおびえた地獄絵図がある。「たけは又、私に道徳を教えた。(中略)嘘を吐...
川倉賽の河原地蔵尊
芦野公園北東部の小高い丘、風光明媚な景勝地にある。下北半島の恐山と共にイタコの霊媒が有名で、地蔵堂などに大小約2千体のお地蔵様がま...
津軽三味線会館
津軽三味線発祥の地である金木町にあり、津軽三味線の歴史、民謡、郷土芸能などを紹介している。一日に数回、津軽三味線の生演奏を聴くこ...
金木町太宰治記念館「斜陽館」
太宰治の父・津島源右衛門が1907年(明治40)に建てた家で、太宰はこの家で生まれている。米蔵に至るまで、日本三大美林で知られる青森ヒ...
芦野公園
太宰治が幼い頃、よく遊んだ公園。春には桜が美しい。太宰治文学碑には、初期の作品「葉」の冒頭に引用したヴェルレーヌの詩句「撰ばれて...
十三湖
岩木川の河口にあたり、海水と淡水が混じった汽水湖で、しじみ貝の産地として有名。また、鎌倉時代から室町時代にかけて安東氏が支配し、...
福島城跡
長部日出雄の小説『消えた城塞』の舞台。十三では数多くの趾跡が発見されている。安東水軍の滅亡は南部軍との敗戦であるが、中世の都跡も...
市浦村歴史民俗資料館
十三湖に浮かぶ中の島内にある。館内では最近の発掘・研究成果からみた十三湊の実態と、十三湊を支配した安藤(東)氏の軌跡を紹介してい...
小説「津軽」の像記念館
「タケと太宰の出会いと生涯」をテーマに、写真や遺品が展示されている。生前のタケが太宰治との再会について語っているビデオ放送もある...
徳増寺
幼い頃から流浪の生活を送ってきた葛西善蔵が眠る寺。墓の側面には「白根山雲の海原夕焼けて妻し思えば胸いたむなり」と刻まれている。
蘭庭院
弘前城の南西に位置し、33の禅寺が建ち並ぶ寺院街。中でも長勝寺は津軽藩主の菩提寺として有名。今官一の生家である蘭庭院もここにある。...
八幡宮
弘前に住む詩人の船水清が、撫牛子八幡宮の鳥居に飾られた鬼の石像を「志功さんに似ている」と冗談を言ったところ、「ぜひ見たいから連れ...
旧弘前市立図書館
1906年(明治39)に建てられ、1931年(昭和6)まで市立図書館として利用された。八角形の双塔を持つルネサンス様式が基調だが随所に和風様...
旧東奥義塾外人教師館
1900年(明治33)に建てられた外国人教師のための寄宿施設。今官一は1922年(大正11)に東奥義塾に入学し、在学中に国漢文講師として赴任...
青森銀行記念館
全国で59番目の国立銀行の本館として、1904年(明治37)に建てられたルネサンス様式の建物。長部日出雄『風雪平野』に登場する。
弘前学院外人宣教師館
明治後期、弘前学院に派遣された宣教師の宿舎として建てられた。弘前学院聖愛高等学校は『青い山脈』に出てくる「海光女学校」のモデルと...
弘前市立郷土文学館
陸羯南、佐藤紅緑、葛西善蔵、高木恭造、福士幸次郎、今官一、太宰治、長部日出雄ら、弘前市周辺に縁のある文人に関わる資料が、常設展示...
弘前市りんご公園
この公園は「りんごと遊べる、学べる、そして触れる、味わう!」ことのできる憩いの広場。中核施設「りんごの家」の隣に石坂洋次郎文学碑...
まるめろ緑地
高木恭造は戦後満州から引き揚げて弘前に移り住み、眼科医の傍ら精力的に創作活動を展開。方言詩集『まるめろ』は東京での朗読会や英訳化...
弘前公園
石垣や堀を含む城跡全域が国の指定史跡になっている。桜の名所として全国的に有名で、春には多くの花見客で賑わう。多くの作家たちもこの...
民謡酒場「山唄」
故高橋竹山師と並ぶ津軽民謡の第一人者山田千里さんが経営する民謡酒場。三味線の生演奏を楽しむことができる。山田さんは長部日出雄監督...
黒石温泉郷
黒石市東部の山あい、浅瀬石川沿いに点在する4つの温泉の総称。古くから湯治場として親しまれ、四季折々の自然の中で素朴な風情が味わえる...
来迎寺
黒石藩御殿医吉田家の菩提寺であり、そこに吉田すまが眠っている。すまは、鳴海要吉が生涯忘れることのできなかった女性であり、彼女の墓...
法眼寺
1680年(延法8)開山された黄檗禅宗の寺。釣り鐘をつくるという記事が新聞に掲載された時に、棟方自身から「ぜひ自分の作品を」と申し出が...
神明宮
秋田雨雀と鳴海要吉は幼なじみであり、2人はこの神明宮を遊び場として育った。境内に2人の生誕百年を記念して、両人の歌を刻んだ碑が建っ...
黒森山文学の森
黒森山の中腹に建つ浄仙寺は泉水と花菖蒲の名所。境内には、秋田雨雀や鳴海要吉などの文学碑が数多く建立され、文学の森として親しまれて...
津軽こけし館
棟方志功が絵付けしたこけしや、触れることができる1億円の純金・純銀のこけし、日本一大きなこけしなどがある。津軽系、鳴子系、土湯系...
秋田雨雀記念館
秋田雨雀が亡くなった後、遺品遺稿は東京から持ち帰られ、南地方教育会館1階の一室に記念館が設けられた。雨雀の愛用品が展示されているほ...
御幸公園
秋田雨雀記念館の隣にあり、雨雀の碑と、幼なじみの鳴海要吉の碑が建てられている。
岩木山神社
岩木山の麓にある神社で、8世紀後半に創建されたと伝えられる。楼門、奥門、拝殿、本殿、瑞垣はいずれも国の重要文化財に指定されている。...
岩木山総合公園
石坂洋次郎生誕百年を記念して、2001年(平成13)5月に文学碑と歌碑を建立。文学碑には岩木山を舞台に書かれた『草を刈る娘』の一節、歌碑...
唐糸御前史跡公園
鎌倉の五代執権北条時頼に愛された唐糸御前は周囲の女性の妬みを受け、生まれ故郷の藤崎に隠れ暮らしていた。時頼が諸国行脚で津軽を訪れ...
三笠山公園
葛西善蔵は母の郷里である碇ヶ関村で、6才から15才までの多感な年頃を過ごした。碇ヶ関村を見渡せる三笠山公園の中腹に彼の文学碑があり、...
太素塚
新渡戸記念館と同じ敷地内にある。1866年(慶応2)、74歳の時に新渡戸傳は自らの墓地を太素塚と定め、自筆で書いた。稲生川上水完成を祝う...
十和田市立新渡戸記念館
新渡戸稲造博士から三本木文化向上のために贈られた蔵書約1万冊をもとに、1965年(昭和40)に建てられた記念館。三本木原開拓に力を注いだ...
寺山修司記念館
詩、演劇、小説、映画とさまざまなジャンルで活躍した寺山修司。その寺山が少年期を過ごした三沢市に、1万4千点に及ぶ遺品を保存公開する...
市民の森公園
総面積129haのスポーツ・レジャーの総合公園。公園内にある寺山修司記念館の裏口から寺山修司顕彰文学碑に繋がる遊歩道がある。文学碑は小...
七戸町立鷹山宇一記念美術館
棟方志功が裁判所で弁護士の給士をしていた頃、旧制青森中学校に通っていた七戸町出身の鷹山宇一は、合浦公園で写生をしている棟方の絵を...
十和田湖
青森・秋田両県の県境部に位置し、二重式カルデラ湖として世界的に有名。大町桂月は1908年(明治41)の十和田湖来遊以来、十和田湖をはじ...
休屋
石川啄木「夕雲に丹摺はあせぬ 湖ちかき草舎くさはら 人しづかなり」の歌碑がある。啄木は、「十和田湖へ遊びに行ってきたが、そこは世...
蔦温泉・大町桂月の墓
大町桂月がこよなく愛し、晩年を過ごした山あいの温泉。宿泊中に詠んだ7句が歌碑になっている。旅館の向いの国有林内に彼の墓がある。周辺...
焼山奥入瀬観光センター
十和田湖と奥入瀬の景勝を、あまねく世に紹介したものとして知られる、大町桂月の「住まば日本 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬 三里半」の...
立田の滝・蔦川砂防公園
蔦川沿いに造られた遊歩道。そこから徒歩5分程の場所に流れる立田の滝と、蔦川の上流と下流にある駐車帯に大町桂月の石碑が建てられている...
上北町歴史民俗資料館
上北町の歴史や伝統文化などを紹介している。先人記念コーナーには大塚甲山をはじめ、上北町に縁のある人物の遺稿や手紙など、貴重な資料...
小川原湖公園
四季を通じて小川原湖の美しさを満喫できる公園。公園の中には、凶作で苦労した農民を救った義人・大塚理兵衛の顕彰碑が建ち、その裏に息...
恐山
今からおよそ1100年前、慈覚大師により霊山として開山されたと伝えられている。日本三大霊山に数えられ、夏、秋の大祭時のイタコの口寄せ...
湯野川温泉
水上勉の小説『飢餓海峡』の中で印象的に描写されている温泉。昭和39年に映画化された時には、ロケ地となった。300年以上前から湯治場とし...
大間崎
本州最北端の岬。1902年(明治35)、石川啄木は下北半島を徒歩で旅行し、大間を訪れた。思い詰めた気持ちの旅だったといわれているが、半...
白浜海岸
三浦哲郎の『夜の哀しみ』の舞台となった海水浴場で、夜の白浜海岸での太平洋の荒波の光景が描かれている。なだらかに続く白亜の砂浜は、...
蕪島
井伏鱒二が紀行文執筆のため八戸を訪れた時に、三浦哲郎も一緒に蕪島が見える海岸線を散策している。この辺りの海の情景は、『おろおろ草...
天聖寺
安藤昌益が八戸へ来たばかりの頃、地元の知識人を集めて講演を行っていた寺。昌益思想を独創的に深化させた場所として、「安藤昌益思想発...
長者山・新羅神社
義経一行より先行して住居の準備をしていたといわれる板橋長治の名から、長者山と呼ばれるようになった。義経はここにしばらく滞在したと...
三八城神社
旧八戸南部藩ゆかりの神社。弁慶石と呼ばれる大きな石がある。石の所々が人間の足形のようにくぼんでおり、力自慢の弁慶が岩にしるした跡...
おがみ神社
「類家稲荷大明神縁起」という義経伝説と結びついた神社の縁起が残っていたが、現在は市立図書館に移管。久我(こが)御前(平泉の時の義...
櫛引八幡宮
鎌倉時代創建の南部総鎮守の神社。国宝の鎧2領を所有し、建物は重要文化財に指定されている。「藩政日記」によると安藤昌益は、櫛引八幡宮...
藤ヶ森稲荷
京の稲荷を信仰していた義経は、1191年(建久2)、家来に京の稲荷より土を一握り持参させて埋めさせ、稲荷のほこらを作ったという、義経開...
八戸駅前
1904年(明治37)、石川啄木は上京の資金を集めるために親戚の家々を回った。故郷の岩手県渋民村の駅から列車で訪れ、旧尻内駅(現八戸駅...
三浦哲郎生家跡
生家は商店街の中心にあり、呉服店を営んでいた。現在は生家を表す標識と生家跡の碑が設置されている。
安藤昌益居宅跡
安藤昌益が八戸へ来てから大館へ帰るまでの約15年間の居住地だった場所。現在、建物は残っておらず表示板が設置されている。
八戸公会堂前
旧八戸小学校跡地で三浦哲郎文学館設立委員会が建立した文学碑がある。そこは三浦が通っていた小学校で、生家の三日町も近く、幼い頃この...
番町
三浦哲郎の小説「しづ女の生涯」の舞台となった場所。亀徳しづは八戸助産婦会の草分けで、三浦も取り上げられた。現在は広沢ビルが建ち、...
三八城公園
かつての八戸城跡で、三浦哲郎の生家から近く、彼が少年時代によく遊んだ場所。公園内に、源義経縁の三八城神社がある。
法光寺
鎌倉時代に北条時頼の命により開山した、東北屈指の曹洞宗名刹。日本の名松100選に選ばれた「千本松」などでも知られている。弁慶の力石と...
出合坂
法光寺の縁起によると、名久井岳に登った北条時頼は、ある庵寺の捐城和尚より篤いもてなしを受けた。感激した時頼は翌朝、持っていた扇子...