・旧平山家住宅 代々津軽藩広田組代官所の手代を務めた平山家の住居は、18世紀後半の上層農民が生活した規模と形式のほぼ原形を残しているといわれている... |
・旧増田家住宅母屋 明治中期に建てられた、津軽地方を代表する大規模な茅葺農家(地主)住居。当時としては天井が高く、武家の格式を重んじ、台所、常居(居間... |
・尾野家住宅 約百年前の住宅を解体、「稲穂いこいの里」に復元したもの。無料で2階まで見学自由。居間のテレビでは、この住宅の解体・復元の様子を見る... |
・旧弘前市立図書館 1906年(明治39)、弘前出身の実業家斎藤主(つかさ)、建築家堀江佐吉らによって建てられ市に寄贈、図書館として1931年(昭和6)まで利用... |
・旧東奧義塾外人教師館 東奧義塾は1872年(明治5)開校した県内初の私立学校。同校に招かれた外人宣教師の住宅として、1901年(同34)に建てられたもので、堀江佐... |
・弘前学院外人宣教師館 1886年(明治19)、弘前の女子教育の先駆けとして設立された弘前学院。派遣されて来た婦人宣教師のための外人宣教師館は、1906年(同39)... |
・旧偕行社・弘前女子厚生学院 旧陸軍将校の懇親・研修のために創設された偕行社の施設として、1907年(明治40)に建てられた。堀江佐吉の設計によるフランスルネッサン... |
・青森銀行記念館 1904年(明治37)、国立第五十九銀行本店本館として建築。ルネッサンス様式に土蔵造りを取り入れた和洋折衷の木造2階建て。外壁は白く、頂... |
・百石町展示館(旧青森銀行津軽支店) 旧青森銀行津軽支店は1883年(明治16)「角三」呉服店として、豪商といわれた宮本甚兵衛が自ら設計した。ゴシック様式の厳格な土蔵造り。... |
・日本キリスト教団弘前教会 1875年(明治8)、当時東奧義塾の外人宣教師だったジョン・イング氏の下で洗礼を受けた人々が中心となり設立したプロテスタントの教会。1... |
・日本聖公会弘前昇天教会 英国教会の伝統を持つプロテスタントの教会。聖堂は1921年(大正9)に宣教師J・M・ガーディナーにより設計、林組施工。ゴシック様式の赤レ... |
・弘前カトリック教会 弘前カトリック教会は1872年(明治5)にパリ外国宣教会のアリヴェ神父によって布教が始まった。現在の聖堂は1910年(明治43)にオージェ神... |
・吉井酒造倉庫 1924年(大正14)に建てられたレンガ造り2階建て。酒造工場、穀物倉庫として使われてきたが、現在内部は公開されていない。2002年(平成1... |
・一戸時計店 1897年(明治30)、三原時計店弘前店として開業、その後1919年(大正9)に一戸時計店が譲り受け、現在の2階建てに改装、現在に至る。屋根... |
・藤田記念庭園-洋館 弘前市出身の実業家、日本商工会議所初代会頭・藤田謙一氏が別邸として1919年(大正9)に建設、設計は堀江金蔵、施工は堀江組。洋館の内部... |
・鏡ヶ丘記念館 1894年(明治27)、青森県尋常中学校(後の県立弘前中学校・現県立弘前高校)の校舎として建てられた木造2階建ての洋館。設計は弘前の洋風... |
・翠明荘 1895年(明治28)に、堀江佐吉らの設計・施工で建築された総ヒノキの入り母屋造り。戦前は第五十九銀行頭取であった高谷英城氏の別邸だっ... |
・三上ビル 1924年(大正13)、旧弘前無尽社屋として建てられたもの。弘前市内の鉄筋コンクリート造りとしては最も初期の建物で、アールデコ様式の4階... |
・前川國男設計の近代建築 日本近代建築の巨匠といわれた前川國男(1905(明治38)〜1986(昭和61))。弘前市内には彼の手による建物が数多く残っている。・木村産... |
・高橋家住宅 中町こみせ通りにある国指定重要文化財「高橋家住宅」は、江戸時代中期の1763年(宝暦13)に建築された。広い土間や吊り上げ式障子窓があ... |
・黒石市街-火の見櫓 火の見櫓を構えた建物として、黒石市内で最も古い市内元町の消防屯所。木造の建物の2階部分から突き出す恰好で火の見櫓が備えられており、... |
・不識塔 川原平開拓記念として建てられた、高さ20.8mの総レンガ造り。1997年(平成9)村に寄贈され、2002年(同14)には広泰寺と共に村指定有形文... |
・盛美園-御宝殿 盛美園内にある清藤家の霊廟。十畳敷きの堂内全面は金箔に覆われており、本尊には鎌倉時代の彫刻金剛界大日如来を安置している。左右両側... |
・十和田カトリック教会 スイスの建築家、マックス・ヒンデルの設計で建てられたロマネスク様式の教会堂で、日本で設計したカトリック教会の建築物は、この建物を... |
・南部家御霊屋 三代目城主隼人正重信公の長男の墓と、幕末の城主格南部信民公とその妻の墓として残されている。 |
・八戸城角御殿表門 八戸城角御殿表門は「古楼門」とも呼ばれ市民に親しまれている、藩政時代の貴重な遺構。三間一戸の大棟門形式で、1978年(昭和53)2月に老... |
・旧河内屋橋本合名会社 八戸の街は昔も今も東西に細長いが、その中心となるのが三日町と八日町の角である。藩政期には「札に辻」と呼ばれ、藩の布告を示す制令板... |
・対泉院楼門と餓死共養塔 対泉院は、根城南部氏の一族である新田氏の菩提寺であったが、八戸藩成立後、再興された。本堂は、明治44年(1911)に火災に遭い、楼門・... |
・小中野新むつ旅館 八戸市小中野は食堂や雑貨屋のほか古くから職人の住む街でもある。その裏通りにある袋小路になった街区が、かつて東北屈指の歓楽街といわ... |
・旧旭商会 八戸小唄で有名な湊橋とその界隈は、八戸の近代化の歴史を凝縮した街である。八戸藩において鰯(イワシ)の豊漁が続いた文化、文政期より... |
・更上閣主屋・更上閣門 明治時代に呉服商・銀行業により東北地方を代表する財閥だった泉山家が、邸宅として1897年(明治30)頃に建築した。昭和初期には地元地方... |
・南宗寺-山門 南宗寺は歴代八戸南部藩主の菩提所。江戸時代後期の1739年(元文4年)建築の山門は、県内でも数少ない四脚門の形式を持ち、藩政期の面影を... |
・江渡家住宅 故江渡熊五郎(現江渡茂彦)家の住宅は1781〜1788(天明年間)に飢饉救済事業として建てられたもので、寄せ棟造りの茅葺き屋根。南部藩の... |
・五戸町消防団第一分団屯所 1879年(明治12)に建築、大火で焼失後、1922年(大正11)に再建された望楼付き木造2階建ての屯所。高さ12.2m。1940年(昭和15)には消防... |
・五戸代官所の門 代官所の門は、1861〜63年(文久年間)の建築と推定され、1992年(平成4)町に寄贈を受け、全面改装している。復元された代官所は当時の代... |
・南部利康霊屋 南部利康は南部27代大守利直の4男で幼年を申千代といい、24歳の若さで世を去った。父直利がこれをいたみ霊屋を創建した。桃山様式の華麗な... |
・旧圓子家住宅 旧圓子(まるこ)家住宅は、江戸時代末期の貴重な建造物。格式高い武家屋敷の様式を備えている。藩政時代には2haほどの広大な庭園の中にあ... |