あおもり教育旅行ガイド2009
  • テーマ10 青森の文学:太宰治・寺山修司を学ぶ
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テーマ10 青森の文学:太宰治・寺山修司を学ぶ ダザイ文学とテラヤマ・ワールドの根源を知りたくはないか?

学習のねらい・学習効果

1.太宰 治

  • ◎「走れメロス」の作者の故郷で、その文学を育んだ津軽の風土と「家」の問題にふれ、家族「愛」や生きることについて考えるきっかけとする。
  • ◎「富嶽百景」の作者の故郷で、その文学を育んだ風土と「生まれてすみません」と言わせた「家」にふれ、大切なものを探し続けた「津軽」の「私」と同じように、生きることについて考えを深める。

2.寺山修司

  • ◎作品を発表するだけでなく、全国組織を作り、俳句雑誌まで創刊した高校生が青森にいた。寺山修司。その歩みをたどり、表現することについて考えるきっかけとする。
  • ◎「百年たったら帰っておいで。百年たてばその意味わかる」と時代を先駆けた寺山修司。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と歌に詠んだ寺山の歩みをたどり、多彩な表現について考えを深める。
  • ◎作者の心情や意図と創造的な工夫などを理解し、作品に対する見方を深める。
青森市・五所川原市・三沢市・中泊町

テーマの解説

ダザイ文学を故郷・金木町から紐解く

太宰治は明治42年6月19日、大地主・津島源右衛門の第十子六男修治として誕生し、13歳頃まで五所川原市金木町の生家で暮らしました。ヒバを贅沢に使った我が家に嫌悪感を持っていた太宰は、『苦悩の年鑑』の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いています。五所川原市金木町芦野公園に建つ文学碑に記されたフランスの詩人・ヴェルレーヌの詩集からの一節「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」の言葉は『晩年』の中で使われており、豪農ゆえに周囲とはかけ離れた環境の中で、家族とも馴染めずに育った彼は、生家での暗い記憶を碑文に重ね合わせたとも言えます。
  1944年、『津軽』の執筆を依頼された太宰は十数年ぶりに故郷に戻り、津軽を旅することで、自分を見つめ直すことができました。自らの生い立ちを語り“忘れ得ぬ人々”との再会の様子が描かれています。太宰にとって故郷とは何か。家族とは何なのか。今でも威風を放つ太宰治記念館と金木町の風土に触れることで、太宰文学の根底にあるものを感じとるとともに、生きることについて考えます。

「表現の宇宙」が展開するテラヤマ・ワールド

寺山修治の表現の場は、短歌・俳句・詩・演劇・映画・写真・競馬・評論・エッセイなど多岐に渡り、その前衛的な表現は海外からも高い評価を得ています。多彩なジャンルで生み出された多くの作品は、読み継がれ、受け継がれ、上演し続けられ、今日に至っています。1945年7月の青森大空襲から1949年までの4年間、寺山修司は父親の実家がある三沢市で過ごしました。9歳から13歳の多感な少年時代に刻まれた記憶は、後のテラヤマ芸術の原風景となり、三沢市は前衛芸術家として時代を駆け抜けた彼の故郷となったのです。その地に建てられた記念館には、寺山修司の足跡が、彼が表現した意味深な言葉とともに様々な形で残されています。足跡を探し見つけ出した数々の作品から、表現することについて学びます。

「斜陽館」1階の板の間
太宰治記念館「斜陽館」1階の板の間
芦野公園駅の写真
太宰治の生家近くにある津軽鉄道芦野公園駅
「寺山修司記念館」展示室の写真
寺山修司の足跡をたどる仕掛けになっている「寺山修司記念館」展示室

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三沢市寺山修司記念館

館長 寺山 孝四郎

 寺山修司の母、はつ氏より三沢市に寄贈された遺品約1万2千点を保存公開するために建設されました。寺山修司と親交のあった粟津潔氏のデザインでアートと建築の一体化したユニークな記念館とされています。全体は柱時計をイメージし、外は田園風景、室内は天井棧敷を想定して楽屋・舞台・奈落で構成され、修司が使用した机の引出しを開けて寺山修司を探し求める仕組みとなっています。

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