
太宰治は明治42年6月19日、大地主・津島源右衛門の第十子六男修治として誕生し、13歳頃まで五所川原市金木町の生家で暮らしました。ヒバを贅沢に使った我が家に嫌悪感を持っていた太宰は、『苦悩の年鑑』の中で「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いています。五所川原市金木町芦野公園に建つ文学碑に記されたフランスの詩人・ヴェルレーヌの詩集からの一節「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」の言葉は『晩年』の中で使われており、豪農ゆえに周囲とはかけ離れた環境の中で、家族とも馴染めずに育った彼は、生家での暗い記憶を碑文に重ね合わせたとも言えます。
1944年、『津軽』の執筆を依頼された太宰は十数年ぶりに故郷に戻り、津軽を旅することで、自分を見つめ直すことができました。自らの生い立ちを語り“忘れ得ぬ人々”との再会の様子が描かれています。太宰にとって故郷とは何か。家族とは何なのか。今でも威風を放つ太宰治記念館と金木町の風土に触れることで、太宰文学の根底にあるものを感じとるとともに、生きることについて考えます。
寺山修治の表現の場は、短歌・俳句・詩・演劇・映画・写真・競馬・評論・エッセイなど多岐に渡り、その前衛的な表現は海外からも高い評価を得ています。多彩なジャンルで生み出された多くの作品は、読み継がれ、受け継がれ、上演し続けられ、今日に至っています。1945年7月の青森大空襲から1949年までの4年間、寺山修司は父親の実家がある三沢市で過ごしました。9歳から13歳の多感な少年時代に刻まれた記憶は、後のテラヤマ芸術の原風景となり、三沢市は前衛芸術家として時代を駆け抜けた彼の故郷となったのです。その地に建てられた記念館には、寺山修司の足跡が、彼が表現した意味深な言葉とともに様々な形で残されています。足跡を探し見つけ出した数々の作品から、表現することについて学びます。


